モーラー奏法において不可欠であるリラックス。
なぜリラックスには法則があるといいきれるのか?この疑問に答えるべく、無料動画にてこちらで解説しています。
衝撃の内容です!!
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投稿者: hiromu 投稿日時: 2013-12-27 11:15:59 (11989 ヒット)

ドラムで仕事をするために

ここでは、『ドラムで仕事をするためには?』ということを考えてみたいと思います。

『ドラムでプロになるためには?』ということでもあろうと思います。
ドラムで仕事をするわけですから、『仕事をする』ということがいかなることであるか?を考えてみる必要があると思います。

仕事をするとはいったいどういうことなのでしょうか?

お金をもらう事でもあろうし、自分のやりたいようにはできないと考える事もあるでしょう。
プロなんだから技術がなくてはならないと考える人もいらっしゃるでしょう。
いやいやコネクションさえあれば実力なんてどうでもいいんだよ、という意見もありますね。
今や演奏しないバンドマンがお金を稼げる様になっているぐらいですから(いけないことだと言ってるわけではないですよ(^^))、プロになる条件を考えるとなかなか難しいものがあります。

自分のやりたい音楽を演奏しても、趣味で演奏するのなら何ら問題はありませんが、誰の役にも立たなければ、仕事としては成り立ちません。
一方では自分のやりたい音楽をやりたいようにやって仕事になっている方はしっかりいらっしゃいます。
理不尽といえば理不尽です。
技術が未熟でも、人気があればその人がドラムを叩く姿を見るだけでとっても嬉しいからぜひ見たいという方がいらっしゃれば、十分仕事になりますし、逆に芸能界にコネクションがあっても技術が未熟でバンドを辞めさせられたドラマーは数多くいらっしゃることでしょう。
自分の音は全くでていないにもかかわらず、演奏しているフリをして仕事をしたことは、他ならぬ僕自身がTVの音楽番組で何度もあります。
アテブリってやつです(^^)
演奏として成り立ってなくても仕事になる時はなります。

これらの事を考えると、プロになるための条件が真逆になっていても成りったているように見えて不思議に見えるかもしれませんね。

もちろんその人の持つ運もあるでしょう。
才能に乏しくても運が良くてプロになった方もいらっしゃるでしょうし、才能に恵まれていても運悪くプロになれなかったドラマーは数多いことでしょう。
業界ではよく「運も実力のうち」なんて言ったりします。
その人が持って生まれた運命もプロになるための条件の一つなんだという意味だと、僕は解釈しています。プロになれるなれないは運命といえば運命かもしれません

でも考えてみると、プロのドラマー達には一つだけ共通している点があります。
実はそれが仕事をするということの本質でもあるのです。
それは、


『ドラムを叩くことで人々の役に立っている』


ということなんです。
仕事をするということの本質は誰かの役に立っているということなのです。


役に立つことができるから、人様の大切なお金を頂くことができるのですね。
でも人間、「役に立つから!」といってやりたくない事を一生やりつづけるというのは、本当はとっても苦痛です。
仕事にはライバルがつきものですから、仕事が苦痛であったなら仕事が楽しくて仕方がないライバルには敗れ去っていくでしょう。


人のためにがんばったのに。
世の中は厳しいものです。


ですから仕事で成功するためには、自分がやりたいことであり、かつ多くの人に役に立つものである事が大切であろうと思います。
ありていに言えば自分の強みで仕事をするということですね(僕のようなものがエラそうに仕事での成功を語る資格があるかどうかはわかりませんが、僕もドラムで仕事をしている人間のハシクレとして今までで掴み取った事をお伝えしている次第です(^^))。


ドラムで仕事をするためには、あなたのドラム演奏やドラムそのものを通じて、自分のやりたいことが多くの人を楽しませたり役に立ったりして、あなたが周囲から必要とされている事が重要です。
そして自分の強みで勝負する!
弱みでは、仕事はできても生き残れるかどうかはわかりませんからね。
自分の強みを掘り下げるには、どうしても自分とは何者であるのか?そして今何がしたいのか?という事を自分に問い続けなければなりません。


僕は人はそれぞれ生まれて来る前に予定していた仕事があると思っています。
それを天職というのだと思いますが、実は天職にはなかなか出会えません。
天職に出会うまでの過程そのものが、天職を全うする全ての仕事量の半分だ、と言う人もいます。
天職に出会ったとき、すでにその仕事の半分が終わっていて、そのあと非常に濃い能率で仕事をこなしていくのでしょう。

ぜひ天職を探してください。

もしそれに出会うことができれば、自ずと道は定まると思います。あなたの天職がドラムであったなら、僕は本当におめでとうといいたい。
でももしそうではなかったら…

でも、いいんです。
天職を探してください。天職にであった時必ず仕事が楽しくて仕方がなくなります。
そしてとてつもない能力を発揮されることでしょう。きっとあなたの仕事ぶりを他の人が見たら、その凄さに驚きを隠せないでしょう。
そんなあなたになって欲しい。
頑張ってください。

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投稿者: hiromu 投稿日時: 2008-9-24 10:00:00 (5757 ヒット)


心技体






いにしえの達人たちが、いっていた言葉のなかに、心技体(しんぎたい)ということばがあります。読んで字のごとく心と技と体の3つの関係がうまくいくことが重要であるという考え方です。


 


現代の進んだ科学は、体の仕組みや動きを細かく分析するという点においては、めざましい進歩をとげています。それはそれですばらしいことであります。当ドラムレッスンにおいても、先端の技術を学び、レッスンに生かしております。しかし、もし仮に、現代的科学が心を否定し、スピリチュアルなものを否定するのならば、私はとても残念におもいます。


 


技についても、ドラムの場合は、我々の諸先輩方の功績で、ルーディメンツやリズムパターンなど開発がなされてきました。そのおかげで多くのドラマー達が、技術の向上という意味で、たくさんの恩恵をうけています。


 


この、諸先輩たちが積み上げてきた功績を無駄にしないためにも、また、未来の音楽をすばらしいものにするためにも、私たちは高い精神性をもとめて演奏に従事するべきであると思うのです。


 


 


 


思い出してほしいのです。


 


自分がはじめてドラムに触れてたたいたときのあの感動。


 


演奏がうまくいったときのあの喜び。


 


自分達の演奏をきいて、楽しんで踊ってくれたお客さんをステージから見たときのあの感慨。


 


グルーブを感じて演奏できたときのあの楽しさ。


 


涙ながらに叩くバラードのあの心境。


 


 


これらは、心があって感じるものであります。


 


“うれしいなあ” とか “かっこいいなあ” と感じるものの主体は心であるということです。


 


 


音楽を奏でる私たちにとって、心はたとえようもなく偉大で、尊く、大切なものなのです。


 


 


一方で、心が大事であるという人のなかには、進んだ技術を軽視する傾向を持つ人がいます。


これはとても残念なことです。技術的な解析もせずに、気合だけでスピードを上げようとしたり、根性だけで全ての技術を乗り越えようとするような態度は、工夫して乗り越えようとする態度を否定しかねません。


科学的実証がなされているものや経験的にわかっていることについては、どんどん取り入れるべきであるとおもいます。


本当の意味で素晴らしい技術は必ずや心に貢献するものであります。


 


逆に、技を追い求めるドラマーは、心を軽んじる傾向にあります。


技術さえあればトップに立てると勘違いしないでください。


優れた技術は優れた演奏に貢献するものではありますが、決してイコールではないのです。


良い技術さえあれば良い演奏ができると思い込んでしまうのは、悲しむべきことです。


技術だけを習得しても、肝心かなめの心というものを軽視するならば、ただうまいだけのなんの感動もうまない演奏になってしまいます。


 


なにか音楽表現に物足りなさを感じるはずです。


 


どうかそのようにならずに、心も技術も体も向上をめざすという考え方を忘れないでください。


 


現代の科学では、心は脳波であるという考えがありますが、そのように安直に結論づけるのは早計であると思います。もちろん、心と脳波とは何の関係もないとはいいきれないと思いますが、心というものは、もっと尊く、崇高なものであり、神秘的で謎が深いものに私は感じます。


 


音楽はもともとスピリチュアルなものであり、音楽を感じる主体である心も、とてもスピリチュアルなものであると感じます。


私たちにとって、権威と信頼をもってスピリチュアルなものを語る人の意見に耳を傾けるということは、とても大切なことであろうとも思っております。


 


心技体という言葉は、心という文字が一番最初にでてきます。技という文字でもなく、体という文字でもありません。心が最初なのです。これには、深い意味があると感じざるをえません。達人や偉人たちはこのとこを知り、伝えたかったのではないでしょうか。


 


これからの新しい世紀に活躍するドラマーには、この古くて新しい心技体の3つのバランスを大切にしていただきたいとおもいます。


 


 


 


 


 


 


無料体験レッスンはこちらからどうぞ


 


 


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投稿者: hiromu 投稿日時: 2007-7-11 1:53:39 (4637 ヒット)





何のための演奏か




ちょっとえらそうなこと言ってもいいですか?


私達の求めているリラックスは何のためでしょうか。

私達の求めている優れた技術は何のためでしょうか。


優れた演奏には体だけでなく、心もリラックスしています。この心のリラックスこそ大切なものなのです。音楽には自分の心をこめた演奏が重要なことは、みなさんもご存じのことと思います。


迷いや嫉妬、疑い、焦り、不安などから解放された心を思い出しましょう。自由で屈託がなく、明るく、前向きで、何か人のためにしてあげたくなるような積極的な愛と感謝に満ちた心をとりもどしましょう。


愛情のない形だけの親切は、本当の喜びにはならいですよね。


優れた演奏には、があります。

優れた演奏には、癒しがります。

優れた演奏には、元気にする力があります。

優れた演奏には、いっしょになって泣いてくれる優しさがあります。


体のリラックスばかりもとめてしまうと、心をこめた精神性の高い演奏の大切さを忘れがちになってしまいます。

どうか忘れないでほしいのです。

僕もまた忘れないようにしなければいけないと思っています。


偉大なる悟りをひらかれたお釈迦様は「色心は不二である」とおっしゃられました。色とは色彩のことでななく、体という意味です。色心の心はこころのことです。心とは音楽を感じる主体であります。では不二であるとはどういうことでしょうか。それは二つではないと書きます。それは体と心はまったく同じでもなければ、完全に別々の存在でもないということなのです。


わかりにくいでしょうか:^^


こう考えてみてください。


「体と心は影響しあっている」と。


体の調子がよければ、心はかろやかですし、心が明るく前向きであれば、体まで調子がよくなるということなのです。

みなさんもそのような体験が少なからずおありのことと思います。


 


音楽は心で奏でるものであり、人々の心にうったえかけるものであります。

いくら優れた技術を持っていても、一番大切な心を忘れて演奏してしまっては、意味がありません。優れた技術は優れた心に奉仕するものなのです。

体の事を中心にリラックスを考えることはとても大切なことです。しかしそのことが演奏にとって一番大切である心の存在を否定することになってはいけません。それはとても残念なことです。


愛と感謝の心をもって演奏にのぞみましょう。


 



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